注目! お地蔵さんの足元にある言葉の意味するもの



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優しい顔をしているお地蔵さん。路傍で見かけることがあったら、ぜひ、手を合わせてくださいね。

何はなくとも、仕事やその他アレコレに忙殺される現代人にとっては、そのようなちょっとした祈りの「無」の瞬間が必要です。手を合わせることくらい、手間でもなんでもありません。

 

そしてちょっと、そのときにはお地蔵さんの足元にも目をやってみてください。何か「言葉」が書かれているお地蔵さんもあります。

それはご利益を表していたり、そのお地蔵さんが作られた謂れを表していたりもします。

 

<お地蔵さんの足元の言葉の意味とは>

ふと目を留めると、お地蔵さんの足元には、次のような言葉が書かれていたりします。

「安産」
「家内安全」
「無病息災」

――などなど。これらは、そのお地蔵さんのご利益を表すものです。いえ、もっと正確に言えば、「そんな風になったらいいな」ということで、昔の人が思いを込めて、その言葉と共にお地蔵さんを作ったということなのでしょう。

そのようなありがたい言葉が書かれているお地蔵さんなら、普段は信心がないという人でも、まあちょっと都合はいいようですが、「ぜひ自分にもそんなご利益を…」という気分で手を合わせてみたくなります。

それ自体、邪心でもありますが、何はともあれ合掌するというのは悪いことではないでしょう。一瞬、心が澄んでいくような感覚すらあります…。

 

あるいは、「**霊」とも書かれていることがあるかもしれません。これは、お地蔵さんにそこで亡くなった人の成仏を祈る意味で、そういう言葉が彫られているのです。

古くからお地蔵さんは、水子霊の魂を鎮めるものとして祀られてもいました。すなわち、そのような言葉が彫られたお地蔵さんというのは、賽の河原の子どもたちを見守っているのかもしれません。

そう思うと、多少は神妙な気持ちになって、静かな祈りを捧げてしまいます。

 

足元の言葉に注目すると、お地蔵さんに向かうときの気持ちというのが、いくらか変わってきます。そのような複雑な心の持ち方こそ、人の深みに通じるのではないでしょうか。


お地蔵さんの「装飾品」~各所で個性的な装いがある?


お地蔵さんといえば、みなさんが思い浮かべるのは、だいたい次の通りのものではないでしょうか? ――赤い前掛けをしたお坊さんで、袈裟をまとっている。そんな感じですよね。

あるいは、もっと立派なお寺に安置されたお地蔵さんは、錫杖を持っていることもありますね。水子霊を鎮めるお地蔵さんはお坊さんでなく、小僧姿をしていたりもします。

 

<各地のお地蔵さんの装飾はそれぞれ>

お地蔵さんは全国各地の路傍、そしてお寺などに安置されていますが、すべてが共通した姿というわけでもありません。それぞれ似通いながらも、また個性的な姿をしています。

 

そのルーツから考えると、それも必然かもしれません。仏教、そして地蔵信仰はもともとインドから伝来したものです。

衆生に普及していったのは平安時代のことですから、それから現代にいたるまで、久遠の時が流れています。その中で土地を超え時を超え、庶民がお地蔵さんに託した思いは違うでしょう。必然、その姿も異なったものとなるはずです。

 

いわば「伝言ゲーム」みたいなものです。もともとは「こうあるべき」とされていたお地蔵さんの形もあったのかもしれませんが、伝承される中で時代の空気を吸いながら、それは少しずつ変わった形になっていったのでしょう。

実際、お地蔵さんのご利益自体、実にご都合主義的な部分もあるというべきか、各所でいいように解釈されていたりします…。

一般的にお地蔵さんの姿といえば、剃髪した僧侶の姿で、袈裟をまとっています。装身具については、身につけていないのが基本ですが、「瓔珞(ネックレスのようなもの)」程度で飾られたものもあります。

あるいは左手に「如意宝珠」を、そして右手に「錫杖」を持つかたちもありますね。髪を高く結い上げたお地蔵さんの姿もあり、実に様々なのです。

 

みなさんのイメージするお地蔵さんの「基本形」と、実際にお寺や路傍で見かけるお地蔵さんとの違いに注目して見て回るというのも一興かもしれません。


「道祖神」とも呼ばれるお地蔵さん その謂れとは?


お地蔵さんは「道祖神」の1つとも考えられることが多いようです。お寺に祀られていることも多いですが、路傍でその姿を見かけることもしばしばで、まさしく「道祖神」という感じですね。

けれどそもそも地蔵菩薩と道祖神というのは、少し違っていたりします。

 

<地蔵信仰と道祖神は習合している>

「道祖神」とは、縄文時代から存在しているものです。古代の精霊を祀ったもので、現在路傍で見られるのは、その名残だとか。

いろいろな姿かたちがあり、石本来のかたちを残したまま道祖神とされたものや、性器などの形象を持つものもあります。

一般的にお地蔵さんといえば、お坊さん姿で、錫杖を持った姿がほとんどですね。そういう意味では、その姿からして、道祖神とは少し違ったものとも言えます。

お地蔵さんが基本的には人の姿を取っているものに対して、道祖神は、人の姿を取らないものとも区別できるかもしれません。

 

道祖神は「荒神」とも言われます。お地蔵さんと違って、だいたいは暗くてひっそりした場所に安置されているのも特徴的です。

一見すればただの石に、「荒神」とだけ彫られていることもあり、なんとも――。とはいえ、古代の精霊がそれぞれ、人に親切でわかりやすく立派な姿を取っているわけもなく、いわば素っ気ないまでの形として道祖神とされているのも、自然なことでしょう。

 

対して、お地蔵さんは衆生を救うため、あるいは水子霊を鎮めるために、仏教の考えに基づいて作られるものです。

もともと、言ってみればそれができた「謂れ」が違うわけですが、いずれも路傍にさり気なく安置されていることが多いことから、異なる信仰が習合して、お地蔵さんもまた道祖神と考えられたりするようです。

ちなみに、そのような(名もなき)お地蔵さんのことを、「辻地蔵」とも言います。道端(辻)に、何気なく安置されている石仏――すなわち、辻地蔵というわけですね。

 

古代の信仰と地蔵信仰が習合したのが、現代のお地蔵さんとも言えるかもしれません。


お地蔵さんが設置される目的とは? 事故現場などにも…


もともと、お地蔵さんというのは、平安時代に生まれた石仏です。苦しみに満ちた生活を送る私たちですが、せめて死後は極楽にいかせてもらえるようにと、各地に設置されました。

しかし、今ではその意味が敷衍されて、様々な目的で新しく作られたりしています。

 

<水子霊を成仏させるお地蔵さん>

これは古くからの言い伝えにもあるのですが、お地蔵さんは、水子霊や生まれて間もなく亡くなってしまった子どもたちを成仏させるために設置されたものでもあります。

賽の河原で鬼の責め苦に苦しむ子どもたちを、お地蔵さんは、傍らで見守り続けているのです。

全国各地に点在する路傍のお地蔵さんも、かつてその近くで亡くなった子どものために造られたものであることも多いようです。

何はなくとも手を合わせて、その魂がいずれ鎮まるように、私たちも信心を持ちたいですね。

 

<事故現場などにも設置されるお地蔵さん>

その他、ちょっとしたいわくつきの場所にもお地蔵さんが設置されることがあります。

たとえば、事故が多発する山道などには、その近くにお地蔵さんが設置されたりします。そうすることで、少しでもその場所が大きな存在に護られるように、との意味があるのでしょう。

 

あるいは、古くから霊場と言われる場所にも、お地蔵さんがいたりしますね。

その場所のしがらみを祓うためのお地蔵さんというのは結構多くて、たとえば、かつて処刑場があった場所に石仏が祀られていたりもします。

 

有名な「首切地蔵」というのもその1つです。罪人とは言え惨たらしい死を遂げた彼らの魂が安まるよう、お地蔵さんが作られています。地蔵信仰そのものの意味からは少し離れていますが、敷衍の範囲内でしょう。

おそらく、路傍のお地蔵さんに目を留めて、特に深い意味はなくとも手を合わせるという行為を心がけているのは、ごく少数の人だけではないかと思われます。

しかし、すべての過去の上に今があると考えれば、私たちも水子霊やその他の霊、仏様と無関係ではないのかもしれません。今度、もしあなたがどこかでお地蔵さんを見つけることがあれば――。


お地蔵さんの「ご利益」はいろいろ~安産、五穀豊穣などなど


地蔵信仰についてまとめられた経典、「地蔵菩薩本願経」には、善男善女のために、様々なご利益があることが言い伝えられています。

実に数多くのご利益は、大きく分けて2つあり、お地蔵さんを信仰する庶民のための「二十八種利益」と、天竜鬼神のための「七種利益」となっています。天竜鬼神の話は少々複雑なので、ここでは前者だけを紹介します。

 

<地蔵菩薩本願経に説かれる「二十八種利益」>

現在、各地に設置されたお地蔵さんには、それぞれ独自のご利益があるとされています。しかし、それらももともとは、下記の「二十八種利益」から敷衍されたもののようです。

◎「二十八種地益」一覧
・天龍護念(天龍に守られる)
・善果日増(日々、善い業が増していく)
・集聖上因(神聖なる業が集まってくる)
・菩提不退(悟りの境地に至り、後退することがない)
・衣食豊足(衣・食に飢えない)
・疾疫不臨(疫病にかかることがない)
・離水火災(水難・火災からまぬかれる)
・無盗賊厄(盗みなどの災厄に遭わない)
・人見欽敬(人々から敬意を払われる)
・神鬼助持(神霊の助けを受ける)
・女転男身(女性から男性に生まれ変わる)
・為王臣女(王・大臣の令嬢となれる)
・端正相好(美しく整った容貌に恵まれる)
・多生天上(何度でも天上に転生する)
・或為帝王(あるいは、人間界で帝王に生まれ変わる)
・宿智命通(カルマを知る優れた知恵を持ち、カルマへと通じる)
・有求皆従(要求すれば、誰もがしたがってくれる)
・眷属歓楽(眷属が喜ぶ)
・諸横消滅(この世の諸々の理不尽が消滅する)
・業道永除(悪しき業が永久に除かれる)
・去処盡通(赴きたい場所までうまくいく)
・夜夢安楽(夜は良い夢が見られる)
・先亡離苦(先祖がその苦しみから解き放たれる)
・宿福受生(幸福な運命を授かる)
・諸聖讃歎(諸聖人に讃えられる)
・聰明利根(聡明にして利発となる)
饒慈愍心(心が慈しみに溢れる)
畢竟成佛(必ず仏になれる)

――このようなところです。「女転男身」など、若干時代がかったところもありますが、それでもこんな様々なご利益を知ると、路傍のお地蔵さんにも手を合わせたくなりますね。


お地蔵さんは「お釈迦様のピンチヒッター」!?


仏教の言い伝えによると、この信仰の大存在であるお釈迦様が亡くなって、56億7000年後に弥勒菩薩様が誕生すると言われています。彼(と言っていいのかわかりませんが、とにかく弥勒菩薩様)が、お釈迦様の正式な跡継ぎというわけです。

しかし、そのような救いの存在が不在している今、何が我々苦悩する庶民を救ってくれているのか――誰もいない、なんてことはありません。お地蔵さんが、いわばピンチヒッター的に、我々を救ってくれているのです。

 

<弥勒菩薩様が現れる遥か未来まで――>

お釈迦様はすでに、現世にはおられません(とする考え方が一般的です)。すなわち私たちは今弥勒菩薩様が現れるまでの、「神の不在の期間」を生きていることになります。

弥勒菩薩という跡継ぎは決まっているわけですが、彼はまだ誕生していないという状態ですね。

 

その56億7000年の空白を埋めるのが、お地蔵さんです。我々はどうにも気安くお地蔵さんと呼んでしまいがちですが、正式名称は、「地蔵菩薩」。立派な救いの存在で、弥勒菩薩様が現れるまで、ひとまずは(というにはずいぶん長い期間ですが)庶民の苦悩に満ちた生活を見守っていてくれています。

街のあちこちに、あるいはちょっとした道端なんかにお地蔵さんがいるというのは、こういった言い伝えから来ているみたいですね。そのような気持ちでお地蔵さんを見ると、ちょっと信心も湧いてきそうなものです。

「え? お地蔵さんって、水子霊を成仏させるためのものじゃないの?」

そんな風に思っている方も多いかもしれません。確かにそのような言い伝えもあります。賽の河原で責め苦に遭う子どもたちを優しく見守り、成仏まで導くのが、他ならぬお地蔵さんであるとも言われています。

ただ、それも地蔵信仰の1つのかたちでしかありません。仏教発祥の地インドでは、お地蔵さんには他にも無病息災や家内安全などの様々なご利益があると言われており、言わばなんともありがたい、万能型の信仰対象というわけです。


現代まで残る「地蔵信仰」の始まりとは


信心深い人ならもちろんですが、そうでない人も、路傍でお地蔵さんを見ると、なんとなく手を合わせてみたいような気持ちになります。
 
そうする方でそのように自覚しているかはともかく、これは平安時代に生まれた「地蔵信仰」が現代まで残っていることの証左でしょう。
 
どうやら私たちの心の深い部分には、道祖神への浅からぬ思いがあるようです。

 

 

<「地蔵信仰」はいつ生まれた?>

 

我々が路傍のお地蔵さんを見ると、なんとなく慎み深いような気持ちになる、すなわち「地蔵信仰」というものは、日本では平安時代に生まれたと言われています。
 
その頃、一般に広く信仰されるようになった浄土宗と関わりが深く、庶民はその苦しい生活の中で「せめて死んだら極楽にいけるように――」という祈りを込め、お地蔵さんに手を合わせました。

日本における地蔵菩薩はそのような形で生まれ、のちのち水子霊を鎮めるための一尊としても認識され、路傍に数多くの石仏が立てられるまでになったのですが、仏教発祥のインドでは少し話が違っています。

久遠の昔、かの国にはとても慈しみに溢れた二人の王がいました。一人は自らが仏となって人を救おうと、「一切智威」という仏となったのですが、いま一人の王はあえて仏になることを拒否し、自らの意思で地獄へと落ちて、すべての苦悩する魂を救おうと考えたのです。
 
その王こそが、「地蔵菩薩」だと言われています。よってインドでは地蔵信仰の霊験は膨大で、とかく、広く苦悩する人々を救うものと考えられています。

すなわち、地蔵菩薩が「地獄にいるもの」という考え方は、実は日本の地蔵信仰にも残っています。
 
水子霊を鎮めるというのもその1つで、賽の河原で責め苦に遭い続ける子どもたちを、お地蔵さんはそこで見守っているというわけです。
 
それ以外にもまた、過去の処刑場にお地蔵さんが立てられている例もあったりします。
 
やはり、彼らは地獄にいて、そこで苦しむ人々を救うものだという言い伝えは、その伝来の土地から、現代の日本まで基本的には通じている認識のようです。


知ってる? お地蔵さんの正式名称は「地蔵菩薩」です。


私たちが一般的にお地蔵さんと読んでいる石仏は、実は「地蔵菩薩」というのが正式名称です。「菩薩」と名がつくことからわかる通り、古くから、仏教の信仰対象の一尊でした。

 

 

<お地蔵さんのもたらす「救い」>

お地蔵さんは、仏教の言語、すなわちサンスクリット語では、「クシティ・ガルバ」とも言われます。
 
「クシティ」とは「大地」という意味で、「ガルバ」とは「子宮」あるいは「胎内」という意味です。
 
それを日本語に意訳したのが、「地蔵」というわけですね。各地のお地蔵さんに「安産」のご利益があるとされるのが多いのも、語源に沿ったものなのです。

 

あるいは、「妙憧」「無辺心」とも訳されることがあるようです。いずれの訳も、つまるところは俗世に苦悩しながら生きる人々を大きな慈しみの心でもって包み込み、救済するというところから命名されたものと思われます。

 

日本では「道祖神」としての姿がよく知られていますが、お寺に設置されてもいて、その場合でも「子どもの守り神」とされていることが多く、お供え物として子どもが喜びそうなお菓子が供えられたりしていますね。

私たちが親しみを込めて「お地蔵さん」「お地蔵様」と呼んでいるものの正体は、実はその語源から解き明かしていくと、実にそのような存在なのです。

 

 

<地蔵菩薩は地獄の責め苦から人々を守る>

浄土信仰が広く普及した平安時代以降、日本ではお地蔵様に対して、地獄への責め苦から救済から庶民を守るものと認識されるようになりました。
 
すなわち、非常に苦しく貧しい生活の中で、庶民は、極楽浄土に行くために、お地蔵様に対して深い祈りを捧げたのです。

 

各地に点在するお地蔵さんの、その姿としては出家僧のような風貌をしていることが多いですが、とりわけ子どもの守護神ともされるゆえ、小僧姿も少なくありません。賽の河原の責め苦から子どもたちを守る、という言い伝えもあります。

 

そこから、水子霊を成仏させるものとの信仰も生まれ、道祖神とも習合して、現在のように路傍に数多くのお地蔵さんが設置されるまでになったと言われています。