路傍だけじゃない! お寺にもお地蔵さんはいます



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お地蔵さんは、路傍で見かけることが多い石仏です。もとは仏教から派生した信仰なのですが、道祖神と習合し、ほとんど民間信仰と化したのが、今、我々が道端で彼らの姿を見かける機会も多い、その理由と言えるでしょう。

 

一方で、お地蔵さんをきちんと祀るお寺や神社があるのも事実です。それもそのはず、お地蔵さんは仏教的にも重要な存在で、「地蔵菩薩」とも言われる、位の高い菩薩なのです。

 

<お寺や神社に祀られる地蔵菩薩様>

路傍で見かけるお地蔵さんは、まさしく、「お地蔵さん」という感じがしますね。優しい顔をしていて、私たち庶民を分け隔てなく受け入れ、気持ちを和ませてくれる雰囲気を持っています。

けれど同じ石仏をお寺や神社で見ると、ちょっと違った印象を受けてしまいませんか? 恭しく祀られたお地蔵様は、何やら、実に尊いような存在に思われてきます。

 

もっとも、仏教の原義から言えば、そのような神妙になるのも当然というべきか、お地蔵さんはお釈迦様の入滅した後、弥勒菩薩様が現れるまでの「神なき時代」を任された、大きな存在なのです。

そのような、いわゆる「地蔵信仰」は、平安の昔には、あまねく庶民に普及していました。すべての苦しむ人に救いを与え、極楽浄土へ導く存在として――。

 

お地蔵さんはとりわけ水子や、不幸な死を遂げた人を救うという説も、そこから派生したものです。

各地の路傍に点々と設置されるようになったのも、あるいはお地蔵さんという石仏の規模が庶民的であったからかもしれません。

これが大仏くらいの大きさを必要とするものであったなら、また少し話は違ったはずで、道祖神とも習合しなかったでしょう。

 

神聖なお寺、神社に祀られているお地蔵さんと、路傍のお地蔵さん。別にどちらか貴重とか、そのような話でもありません。大事なのは、そのお地蔵さんに向かうときの気持ちです。

各地で「このお地蔵さんにはこんなご利益がありますよ」と言っていますが、それも信じる気持ち次第でしょう。無心で手を合わせる静かな瞬間こそが何より重要なのです。


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