現代まで残る「地蔵信仰」の始まりとは



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信心深い人ならもちろんですが、そうでない人も、路傍でお地蔵さんを見ると、なんとなく手を合わせてみたいような気持ちになります。
 
そうする方でそのように自覚しているかはともかく、これは平安時代に生まれた「地蔵信仰」が現代まで残っていることの証左でしょう。
 
どうやら私たちの心の深い部分には、道祖神への浅からぬ思いがあるようです。

 

 

<「地蔵信仰」はいつ生まれた?>

 

我々が路傍のお地蔵さんを見ると、なんとなく慎み深いような気持ちになる、すなわち「地蔵信仰」というものは、日本では平安時代に生まれたと言われています。
 
その頃、一般に広く信仰されるようになった浄土宗と関わりが深く、庶民はその苦しい生活の中で「せめて死んだら極楽にいけるように――」という祈りを込め、お地蔵さんに手を合わせました。

日本における地蔵菩薩はそのような形で生まれ、のちのち水子霊を鎮めるための一尊としても認識され、路傍に数多くの石仏が立てられるまでになったのですが、仏教発祥のインドでは少し話が違っています。

久遠の昔、かの国にはとても慈しみに溢れた二人の王がいました。一人は自らが仏となって人を救おうと、「一切智威」という仏となったのですが、いま一人の王はあえて仏になることを拒否し、自らの意思で地獄へと落ちて、すべての苦悩する魂を救おうと考えたのです。
 
その王こそが、「地蔵菩薩」だと言われています。よってインドでは地蔵信仰の霊験は膨大で、とかく、広く苦悩する人々を救うものと考えられています。

すなわち、地蔵菩薩が「地獄にいるもの」という考え方は、実は日本の地蔵信仰にも残っています。
 
水子霊を鎮めるというのもその1つで、賽の河原で責め苦に遭い続ける子どもたちを、お地蔵さんはそこで見守っているというわけです。
 
それ以外にもまた、過去の処刑場にお地蔵さんが立てられている例もあったりします。
 
やはり、彼らは地獄にいて、そこで苦しむ人々を救うものだという言い伝えは、その伝来の土地から、現代の日本まで基本的には通じている認識のようです。


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