お参りのかたちは千差万別~あなたなりの作法でお参りしよう



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お地蔵様の正式名称は、「地蔵菩薩」と言います。インドから伝わった仏教の一尊で、日本では平安時代から地蔵信仰が広まり、苦しい生活の中、衆生はお地蔵様に手を合わせることで、せめて死後は、極楽浄土での暮らしを祈りました。

そのような切実なルーツを持つお地蔵さんですが、今ではそれも道祖神信仰などを習合して、いくらか形骸化し、ほとんど路傍にそのかたちだけが残っているだけ、という状態とも言えましょう。

私たちもあまり堅苦しい作法にはとらわれず、お参りした方がいいのかもしれません。

 

<自分なりのお参りで「心」を落ち着ける>

一般的に、神社や仏閣を参拝する前には、たとえば鳥居の前で一礼したり、水屋があればそこで手や口を清めたり、賽銭箱があればお賽銭を差し上げたりします。

一般的に、それがしかるべき礼式と考えられています。神社の中に恭しくお地蔵さまが安置されているときにも、その方法にならえば、まず失礼はないでしょう。

 

しかし、仏教が大事にしているのは実こそ、そのような礼式ではなく、むしろ「心」のありようです。

極端なことを言えば、きちんとした礼儀を払っても、心の中で「バカみたいだな」とか「早く帰りたいな」みたいな邪心(というか雑念)があるなら、あまりお参りには意味がないかもしれません。

 

それよりは、そのような礼式が多少崩れたとしても、お地蔵さんの前で無心に祈り、手を合わせる、という感じの方が良いでしょう。

いえ、というべきか、何か尊いものの前で心を澄まして、ただ気持ちを静かに落ち着けること――それ自体が、何より深い行いです。

 

お参りとは、実にそのようなものではないでしょうか? 仕事や雑事に忙殺される我々が、一時でも俗世のしがらみから解き放たれ、静かな境地に至ること。本当にそのような一瞬が訪れるなら、礼式などは(どうでもいいとは言いませんが)些細なこととも思われます。

かたちにとらわれず、ひとまずは心を澄まして、お地蔵さんに向かい合ってみましょう。


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